「荒海のジョー」出版
【68歳で小説初挑戦】
目次
こんにちは、小説家の青山耕士です。
今日あなたは、どんな朝を迎えることが出来ましたか?そして、どんな夜を迎えたいと思っていらっしゃいますか?
どのような一日を過ごしたかで、翌朝の景色が変わります。
問題点をどのように解決したか?また大切な家族、友人、同僚とどう関わって一日を過ごしたか?
泣いたり、笑ったり、怒ったり、楽しんだり〜
日々の過ごし方で、その先のひと月が大きく変わる事でしょう。
わたしたちは何の為にこの世に生まれて来たのでしょうか? 死んだらどうなるのでしょうか?
私は答えを出せないまま、今年69歳を迎えました。
最近、ちょっと不思議な体験をしました。去年、68歳で初めて小説を書きました。
「最後の伝令」と言うタイトルです。
そこには、満州鉄道(まんしゅうてつどう)に勤務していた、若い頃の私の父親が生き生きとリアル感溢れて登場しています。 内容は、終戦直後、満洲国各地に居住する日本人達に、日本が戦争に負けた事実を伝え、「帰国を急げ」と口頭連絡の為〜 父は相方と二人、トロッコに乗って、命を賭けて満州鉄道の本線944キロを走破したという、事実に基づく物語です。
この小説「最後の伝令」を何の資料もなく書き上げた後に、長い間仕舞い込まれていた、父親本人が帰国後に書いた小説が出てきました。読んで見て驚きました。
父の小説に登場する人物の描写が、私の書いた小説の登場人物の描写とそっくりだったからです。
父親は九州の出身で、周りに特別な指導者はおりませんでしたが、東京芸大に合格しました。若い頃から、絵画や文章を書く能力を、独学で身につけようと努力していたのでしょう。
私は68歳になるまで、小説を書くどころか、社会人になってから今日迄、特に小説を読む事もなく、仕事に没頭して来ました。
ところが、コロナと言う未曾有(みぞう)の、世界の惨事(さんじ)を迎える事になり、仕事や交流が一切ストップ。改めて、父の事に思いを馳せ、小説を書きたいという思いが湧き上がったのです。
何故父親の小説を読む事もなく、そっくりの描写になって小説が書けたのか、不思議です。 私は、この小説を書き上げた事で、「先祖のお蔭」という感謝の気持ちを、改めて感じる良いきっかけになりました。
これは、私の持論なのですが〜、 連綿と続く先祖からの、「自分の子供が生まれる前の悪い行いや、正しい行い」また「深いものの考え方」などは、遺伝子に組み込まれて、次世代に引き継がれるのではないか?と思うのです。
私には息子と娘がいます。2人に勉強をしなさいと言った事は一回もありません。 ですが、彼らは自ずから熱心に勉強して学生生活を過ごしていました。
思い起こせば、私にも、若い頃は、かなり熱心に勉学に勤しんでいた時期がありました。それはまた、父も母も同じだったのではないかと思うのです。
そして、その真逆の事もあります。子供たちがまだ学生だった頃の事、あまりよろしくない行動をとっていた時期がありました。 そんな時、私はこう言って子供に自ら「謝った」ことが有ります。
「これは、お父さんのこれまでの悪い行いが遺伝子に組み込まれて、お前たちに出たんだね〜悪いのはお父さんだ。ごめんね!」
〜〜〜さて、現在、私の家族は三世代同居の、二世帯家屋に住んでいます。 息子はロシアのお嫁さんと国際結婚で孫3人。何の問題も無く、10年が過ぎました。と言うより、問題のひとつひとつを確実に克服しながら、今日の朝を迎えたと、いう言葉が適切かも知れません。
たまにですが、孫たちはロシアの爺ちゃん、婆ちゃんに似た仕草をする事があります。 一緒に住んでいないのに、この様な仕草をすることは大変興味深いですね。感性はこうして、先祖の行いや、思考がまた、鎖の様に繋がって子孫に伝わっていくのではないでしょうか?
話は変わりますが、食生活は大切です。食べたもので体は作られていますよね。食生活は、ものの考え方から言動まで支配します。
今食べている物の記憶と嗜好は、良いも悪いも心身に大きく影響を及ぼします。つまり若いうちのそういった行動や考え方は、遺伝子として組み込まれていくことになります。
年齢を重ねてからの努力は、孫や子供に在りし日の姿として記憶に留める事は出来ますが、遺伝子に組み込む事は出来ないでしょう。しかしその姿を通して学んで貰うことは出来ます。
ことわざに、「若いうちの苦労は、買ってでもしなさい!」とありますね。
若いうちの自己改善の努力や行動は、代々子孫に伝わっていくことになるでしょう。そうやって考えると、 正しく生きる努力は自己責任だけに留まらない価値あるものとなるでしょう。
私が若い頃に比べたら、今や、日本も世界も大きく成長しています。 コロナ渦で、先が暗いと思うか?乗り越えて明るい兆し、の前触れと捉えるか? あなたはどのように感じますか?
【 69歳で続編に挑戦】
2作目の小説、続編「荒海のジョー」の主人公「浅田源次郎」は、実在する二人をモデルにし、家族愛を描いた作品です。
実在するモデルの一人目は、 俳優、「浅田育輝」氏。
悪戦苦闘しながらも前向きに生きる、現役の俳優さんに、焦点を当て、主人公と言う立場で描かせていただきました。
浅田氏にインタビューをし、聴き取りながら書き上げる中、彼の本気度が怒涛の様に伝わってきました。
「自分が小説の主人公になるなんて、絶対あり得ないですよね!」という彼の人生を、真剣勝負、本気で実現させてみました。
彼に何回かお会いし、小説の構想を練り上げるうちに 周りの登場人物達が、どんどん元の構想を超えて生き物の様に変化、成長してくるのを感じました。
彼の想いの強さと、依頼した案件をひとつひとつ、素早くクリアしていく姿によって、私の小説家としてのポテンシャルをグイグイと引き上げてくれたと、感謝しています。
俳優、浅田育輝を世の中に引き上げたいとの想いもあり、主人公に抜擢して挑戦した2作目「荒海のジョー」は〜
結果として、彼の存在自体が、私の初期構想を遥かに超え、大きなスケールの舞台へと引き上げてくれたのだ、という事は確かです。
実在するモデルの二人目は「富山勝治」氏です。彼は、実際にキックボクシング元ウェルター級の世界チャンピオンです。 プロ野球や大相撲などスター選手がひしめく中、キックボクシングの黄金期に活躍した人物を、小説に登場させていただきました。
当時、人気を博し、「キックの帝王と称された沢村選手にはない闘い方に、私は興味がありました。どんなに強い相手でも、闘って負けた相手には、必ずリベンジして借りを返す…といった闘いぶりは格闘技ファンの心を引きつけて離さない。
日本ウェルター級のタイトルを掛けた「花形滿」戦は格闘技ドラマの極致です。
相方あって初めて成立するこの格闘技という名の晴れ舞台。まさしく昭和のあの時代、戦争に負けてからの復興にどれほどのエネルギーになった事でしょう。
そんな富山勝治氏とは昔からの友人だった事もあり、この小説に友情実演していただいたという次第です。
●果敢に挑戦しても、勝てなかった相手を研究し尽くし、再度挑戦して勝つ。
●どう本気で立ち向かうかで、相手を引き上げ、そして自分をも引き上げる。
●悪役俳優として徹底して憎らしい演技をする事で、主役が主役としてさらに引き立つ。
余すところなく発揮する彼らの魅力を、架空の人物である主人公「浅田源次郎」として生き生きと描ききる事ができたなら! さらに、二人の実在する登場人物と架空の人物をどう上手く繋ぎ合わるかに挑戦してみました。
小説「最後の伝令」「荒海のジョー」について、私が柔道整復師として運営している青山整体院のホームページに紹介しています。
私もまた、大人になって、尊敬する合氣道の塩田剛三先生、井上強一師範にご指導いただけ、その後自身も警視庁で合氣道指導員・指定警護要員として要人警護の職に就きました。
その後34歳で思い立って柔道整復師へと転身し、世界で活躍する空手選手のスポーツトレーナーとなりました。そして今は小説家に、という数奇な人生を送って来ました。
今子育てをされているあなたも様々なご苦労をされているかもしれません。そしてあなたご自身のお子様は、これから大変な苦労をされて大きく成長していくと思います。
再度お送りします。「若いうちに、苦労は買ってでもしろ。」
終わりに〜
あなたは家族の中にあって、どのポジションとして存在していますか? 思い出してください! 朝の「おはようございます!」
挨拶という言葉を通して、「みんな今日も元気でいきましょうね」と、相互にポテンシャルを引き上げる為の有り難い言葉の波動。上げるも、下げるもあなた次第です。
私自身が小説を書いた事を通して痛切に感じた想いを、「未来を生きるあなたへ」のメッセージとして 若いお母様方のお役に立てればと、ここに謹んで贈らせていただきます。
✤青山さんのお父様
青山春樹氏(91歳)の出品作「赤桜島」宮崎県都城市絵画部門で金賞を受賞。梅原龍三郎画伯の推薦で東京芸大に合格後、戦争が始まり満洲鉄道社員として満洲国へ。
戦後独学で絵を描き続けたが、自分では画家と認識していなかった。作詞家としても才があり相当数の作詞を、橋幸夫さんはじめ一流歌手に贈っている。
< 警視庁時代 の青山さん>
<キックボクシング元ウェルター級の世界チャンピオン 「富山勝治」氏>
「マムサポート青山さんになんでも聞いてみよう♪相談コーナー」
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