『最後の伝令』:「勇気、絆、人の愛」をテーマに事実を基に書き上げた、ノンフィクションストーリー

青山耕士さんの小説『最後の伝令』が出版され、アマゾンで5つ星をいただいています。

今回は、その小説を読むにあたっての前提知識となる、満州鉄道について書きたいと思います。

みなさんは、「満州鉄道」と聞いてどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか?「鉄道」は分かってたとしても、「満州」とは何?と思う方も多いかもしれないですね。

実は、「満州鉄道」は、2021年4月現在、日本国の内閣総理大臣である、菅義偉氏のお父様が、その社員であったことがあるなど、比較的年齢の高い世代にとっては、ある程度身近な存在なのです。しかし、若い世代の間では、学校教育においてもあまり深く触れられることが無いため、よくわからないということになってしまうのです。

さて、それでは、その「満州鉄道」についてみていきましょう。

まず最初に、この「満州」という語についてです。この言葉は、現在の中国の東北地方(遼寧省、吉林省、黒竜江省、内モンゴル自治区)のあたりを指す地名です。もともとは、古くからこの地に住んでいた女真族が、自分たちのことを「満州、マンジュ」と呼んでいた民族名でしたが、それが地域名となった形です。

その地域の鉄道のことを、戦前、「満州鉄道」と呼んでいたのですが、そこには日本による支配の歴史が深く関わってきます。

ここで、満州鉄道関係を含む、重要事項のみを抽出した、簡単な歴史年表を入れておきます。

西暦年月日満州鉄道関連事項その他の事項
1904.2.10日本、ロシアに宣戦布告(日露戦争)。
1905.9.5日露両国「ポーツマス条約」に調印。
1905.12.22日清両国「満州に関する日清条約」(北京条約)に調印。
1906.6.7「南満州鉄道株式会社設立の件」(勅令142号)公布。
1907.4.1営業開始。
1908.11.15清国の溥儀、3歳で即位。
1912.1.1中華民国成立。
1912.2.12清国滅亡。
1914.7.28第一次世界大戦始まる。
1915.5.25日中両国「南満州及び東部内蒙古に関する条約」締結。
1917.11.7ソビエト政権成立。
1919.4.12関東軍司令部を設ける。
1919年戦後不況で経営が落ち込む。
1928.6.4張作霖爆殺事件。
1929.10.24世界恐慌始まる。
1931.9.18柳条湖事件発生。満州事変。
1932.3.1満州国建国。
1932.5.155・15事件。
1935.9.1大連~哈爾濱に特急列車「あじあ」を運転。
1936.2.262・26事件。
1937.7.7盧溝橋で日中両軍衝突。
1937.12.1附属地行政権を満州国に移譲。
1939.4.1大調査部の設置。
1939.9.1第二次世界大戦始まる。
1945.8.9ソ連軍侵攻。
1945.8.15終戦。
1945.8.18満州国消滅。
1945.9.30GHQの覚書で即時閉鎖命令。

重要なところだけ抜き出しても、以上のように結構長くなります。全てについて説明していると膨大な量になってしまいますので、今回は、あくまでも一般的な概要についてのみ説明していこうと思います。

「満州鉄道」は、鉄道のことを指しますが、広い意味では、この鉄道を経営する会社「南満州鉄道株式会社」のことを指すこともあります。

満州鉄道の始まりは、日露戦争終結後の1905年に、ポーツマス条約によってロシア帝国から大日本帝国に譲渡された、東清鉄道南満州支線(旅順~長春間)です。その鉄道の経営と附属事業の経営を目的として、半官半民の会社「南満州鉄道株式会社」が設立されました。初代総裁は、後藤新平でした。

この会社は、表向きは鉄道会社なのですが、実際の事業内容は多岐にわたり、満州経営の中心となりました。例えば、ホテルの経営、倉庫の経営、鉄道附属地の経営、炭坑、製鉄所、電業、海運業、大連港の経営、高等教育、研究機関などなど。総裁の後藤新平の考案による「満鉄調査部」は、当時の日本においては、最高のシンクタンクのひとつでした。このように多岐の事業を経営することにより、一大コンツェルンへと成長しました。最盛期には、従業員40万人ほど、日本の国家予算の半分ほどの規模の資本金の額を誇りました。

鉄道事業は、レールの幅を標準軌(日本本土は狭軌)へ改修することや、さまざまな改修を行いました。また、清国から鉄道の敷設権を獲得したり、満州国政府から鉄道の経営建設を受託するなどして、順調に経営キロ数を増やしていきました。当初は1,100㎞ほどだった営業キロ数は、終戦時には120,000㎞を超えていました。鉄道車両も、アメリカ製の大きな蒸気機関車を使い、客車も豪華なものにするなど、本土の狭軌の鉄道ではできないことを実行していました。営業速度についても、特急「あじあ号」は、最高時速が120㎞、平均時速が82.5㎞でした。これは、当時ではアジアで一番の速度でした。(日本国鉄の特急「つばめ」の平均時速は66.8㎞。)

満州鉄道の路線は下記の地図をご参照ください。

画像引用元:http://ktymtskz.my.coocan.jp/agia/mantetu2.htm

いかがでしたでしょうか。今回は、青山さんの『最後の伝令』を読むための前提知識として、満州鉄道についてごくごく簡単に説明してみました。満州鉄道は、日本の近代史と深い結びつきがあって、話し始めるときりがなくなります。満州鉄道について、より詳しく知りたいという方は、こども智慧塾で、満州鉄道を含めた日本の近代史の講座を開きたいとも考えているので、続きはそのときにお話しすることにいたしましょう。

目次

以下は、『最後の伝令』の著者、青山耕士さんからの説明文です。

小説「最後の伝令」は国立国会図書館に文化的資産として永遠保存されました。  

この小説は「勇気、絆、人の愛」をテーマに事実を基に書き上げた、ノンフィクションストーリーです。 

 東京芸大に合格していた父だったが、祖父の反対があって、満州鉄道に入社。10年余の満鉄生活は敗戦をもって終焉を迎える事になった。

  満鉄最後の務めとして、敗戦の事実を伝える為の「決死隊」が特別編成された。満鉄の本線944キロをトロッコで走破し、各駅に、敗戦の事実と、迎えの船に乗って「帰国を急げ!」との口頭連絡が主な任務だった。

  予期しない事がきっかけで、選抜メンバーになってしまった父と、もう一人の相方が、約一カ月に渡り繰り広げるヒューマンストーリー。いつ命を奪われてもおかしくない状況下での二人の生き様。危険を承知で敢然と前に進む二人の「勇気」!

  雨、風、嵐、人的災い。そういった中にあって、挫ける事なくお互いをかばい、励ましあう中で生まれた深い「絆」!

  鉄道事故という人的災害の責任をとって、満州の大地に自らの命を捧げる相方の突然の死。その根底にある「人への愛」!  

現在コロナ禍にあって、ともすれば失われがちな「勇気、絆、人の愛」という観点に立ち戻り、この小説がこの未曾有の危機に際し、明日への扉を開けるエネルギーに繋がれば〜 

 命を掛けて特命を成し遂げた「二人の勇気」が、世代を超えて活きる事になるでしょう。

なお、ただいま2作目の小説『荒海のジョー』が完成、近日出版されます。

第二作は第一作で登場した富山勝治とやり合う無頼漢に焦点を当ててみました。満州でノックアウトされたあの無頼漢が、満州引き上げ後の生き様を描いた内容です。

また、著者は警視庁時代要人警護「SP」、特殊部隊隊員、体育指導員、武道の指導者。という経歴を持つ事から実体験による作風が特徴。
母方の先祖は薩摩藩、篤姫の実家の当主。

『荒海のジョー』の表紙です。

青山耕士プロフィール

1952年・宮崎県出身 (両親共に鹿児島県出身)父の影響で芸術家を目指した時期があった。現在スポーツトレーナーとして心身のケアを専門職にする傍ら2020年の非常事態宣言をきっかけに父の念願だった「最後の伝令を小説に」この思いを叶えてあげたいと一念発起して小説に初挑戦。

プロフィールは、「あおやま整体院」のホームページより引用しました。

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