子育て奮闘記昭和の母編 第3話

昭和の子育て奮闘記

5人の子育てをした、すみれの子育て記。現在84歳で気力体力も充実したマムサポーターである。実父母から離れ養父母に不自由なく育てられたにも関わらず、駆け落ちした日から、壮絶なDVを受けながらもたくましく生き、必死に子育てを続けた実話。辛く困難な時にたちむかうマム世代への少しでも助けになればという思いで公開。

   ~DVと経済的苦難の日々~

第3話;DV

子供が生まれ,間もなくすると夫が暴力を振るうようになった。今で言うドメスティック・バイオレンス(DV)だ。

当時は,DVなんて言葉もなく,女性の立場は弱かったから,夫が家庭内で暴力を振るうなんてことは,日常的に耳にした。そんな時代だったから,私も耐えるしかないと,暴力を振るわれても夫の気が収まるのをじっと忍んだ。

私が子供の世話や家事に追われ,夫への配慮を少しでも欠くと,夫は機嫌を損ね烈火のごとく怒った。また,サドの性癖も顕在化し,夜の営みでも平手打ちや髪の毛を掴むなどの暴力が伴った。

暴力はだんだんエスカレートしていく。数年経つと,バッタ棒で打ち付けられたり,入れ墨を強要されるようにもなっていく。

入れ墨もプロに任せるではなく,裁縫用の針を束ねて,Mがチクチクと差し込んでいくから,たまらない。私が身をよじって痛みに耐える姿が,彼を恍惚とさせた。

身体中,赤や青のあざが絶えない日々が続いた。今思えば不思議なことだが,それでも夫から逃げようとは,微塵も考えなかった。生来持ち合わせた我慢強さや,尽くすことへの喜びも相まって,「自分が至らないからいけない。このくらい我慢しないといけない」と耐えに耐え続けていた。

今思えば,か弱かったというより,ひ弱だった。夫への依存や,頼る宛ての無さが,状況打開への行動を鈍らせ,子供を抱えて自立できるとは思えない不甲斐なさとなっていたのだろう。

当時の時代背景も女性には厳しいものだった。主婦は仕事をせず,家庭を守るが当たり前だったため,外で働くことは難しかった。あの経団連でさえ,当時は,「雇用を維持するためには,女性は結婚したら退職してもらわなければ困る」と平然と語っていた。

大きな企業では,婚期を逃した女性を結婚に飢えた独身男性の多い職場へ異動させ,結婚退職できるよう工作していた。

このような時代だったから,シングル マザーが職を探すのは,とても大変だった。

また,それと同じように,収入が安定しない子持ち女性に家を貸してくれる大家も居なかった。高度経済成長期まで続く住宅難の時代は,家主が幅を利かせていた。昔から日本には,「大家は親も同じ,棚子(賃借人)は子も同じ」とか,「住宅を貸してくれてた家主に感謝」という思想が根底にあった。

それに加え,住宅難やインフレが,礼金や更新手数料を生み,更新の度に家賃を上げていくという商習慣となっていった。

夫のDVにより顔を腫らすことも多かったので,それを見た知人が心配してくれることもあった。中には,夫に物申してくれる人もいたが,それは逆効果になるだけだった。

諫言(かんげん)を聞き入れるどころか,私が悪口を吹聴して回ったと,夫から言いがかりを付けられ,暴力を正当化させる口実になってしまうのだ。

ある時,気を失うほどの暴力を受け,生命の危機を肌で感じることとなった。翌日,家事をしていても,Mの帰宅時間が近づくにつれ,このままでは私だけでなく,3歳になった長女も殺されてしまうという恐怖が大きくなっていった。

そしてついに,居ても経ってもいられず,家を飛び出した。完全に錯乱状態で冷静さを欠き,夫が帰宅する前に,少しでも早く,遠くへ逃げなければと,準備も無しに着の身着のまま,わずかな荷物を鞄に詰め込んでの逃避行となった。

端から見れば,目の焦点が合っていない若い主婦が,怯え慌てふためき,顔面蒼白で身なりは乱れ,足下がふらつきながら,幼い子供の手を引く姿は,異様な光景として目撃され,印象に残ったことだろう。

しばらくすると我に返り,少し落ち着いた。そして,これまでの考え無しの行動を冷静に振り返ると,血の気が引いた。頭が良い夫が見れば,容易に状況を察っし,直ちに追いかけてくるに違いない。見つかれば連れ戻され,何をされるかわからない。恐怖で手足は冷たくなるとともに汗ばみ,顔や背中には冷や汗が流れた。子供の手を握る手は,小刻みに震え止まらなかった。

そんなことになっているとは知るよしもなく,夜になりMは帰宅した。照明は灯いていないし,人の気配もない。いつもきちんと片付いている部屋も荒れている。すぐに平時ではないことを察っすると,Mはその鋭い頭脳をフル回転させて状況判断を始める。

部屋の様子から,物取りや空き巣のたぐいではない。かばんや子供の衣装がなくなっている。わずかな家計費も持ち出されている。彼の頭脳が素早く答えを出す。「子供と共に逃げ出したな。しかもかなり慌てて。夕食の支度をしようとしていた様子から,時間もそう経っていない。今なら追いつける」。そう判断するとMは,ビジネスバッグを静かに傍らへ置き,仕事着のまま家を後にした。

Mは追跡に入るやいなや,近隣に何食わぬ顔で妻の様子を伺う。洞察力の高い者であれば,Mから逃げていることを察っし,はぐらかした回答をするが,人の良い者は,Mの力になろうと素直に答えてしまう。

こうして,数回の聞き取りで逃げた方向と様子は聞き取れた。そこから,電車を使うであろう事が推察された。後は遠距離電車に乗る前に追い着けるかどうかだ。

単純な性格で難しいことを考えない妻なら,遠距離電車といえば東北本線をイメージするだろう。それは,実家先と縁があり,馴染みがあるからだ。そして東北本線の始発駅である「北の玄関口,上野駅」へ向かったに違いない。

上野なら,北陸・常磐へも行けるから,どこへ行くか,進みながら考えられる。単純だが,実に合理的で良い選択だ。間違いない。

逆に,上野で捕まえられないと面倒なことになる。子連れの移動速度なら,十分に追いつける余地がある。そう確信したMは,足早に上野駅へ向かうのだった。

幼い子供の足の早さに合わせねばならないもどかしさと,Mの陰に怯えながらの逃避行は,気持ちばかりが焦る。焦る気持ちが判断を鈍らせ,深く考える余裕を奪う。

私は,Mの動静や行動パターンを推察する余裕もなく,身近に感じていた上野駅をとりあえず目指していた。「東京さえ出れば,何とかなる」。浅はかな考えだとわかっていても,それしか考えられなかった。

時にはぐずる子供をなだめすかし,時には食べ物を与えて機嫌を取りながら,遅々とした前進を続けるが,焦る気持ちは刻々と高まっていく。そして,見つかるはずは無いと思いつつも,Mの足音が迫り来る恐怖に怯えるのだった。

[続く]

◆バックナンバー 第2話はこちらhttps://mamusupport.com/2021/03/07/shouwa2/

◆バックナンバー 第1話はこちらhttps://mamusupport.com/2021/02/05/syouwa/

◆つづき

マム・サポーター

 柴里 すみれ

 [ライター;天空 流星]

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