【すみれの子育て記】
はじめに
これは,昭和12年に,妾(めかけ)の子として生まれ,養子に出された末に養父母に育てられた,私の子育て記である。
初めの夫とは,二十歳前に駆け落ちをし結婚した。子供が生まれるとDVを受けるようになり,耐えきれなくなった私は,着の身着のままの逃亡生活を何度も繰り返した。
幾度とない逃亡の末,2人目の夫と結ばれた。彼は優しかったし,子供の面倒見も良かった。二人で始めた商売も軌道に乗り,ようやく少し蓄えもできるようになった。
しかし,安息の日は長くは続かなかった。彼は金銭にルーズだったため,私の知らないところで,安易に連帯保証人になったり,金額を記入しない小手形を発行していた。人が良すぎるのと,懐の大きい男を演じたかったのだろう。
その行く末は,火を見るより明らかだ。気づいたときには,コツコツと貯めた蓄えはあっさり底を付き,逆に誰のものかわからない借金に追われた。再び貧困のどん底に叩き落とされたのだ。
私と子供達は,過酷な取り立てに怯えた。電話にも来訪者にも,怖くて応答できない。2人目の夫と縁を切った私は,私に降り掛かった借金を長期返済で返しつつ,なんとか5人の子供を育てた。
貧しい時代であったが,その中でも,どん底の生活だった。食うに食えずで,自分は水を飲んで何日も凌いだ。それでも,「自分はどうなってもかまわない。子供達だけは何としても育てる」と,死にものぐるいで働いた。
駆け落ちしたため,親の支援は望めず,帰る家もない。寒さや飢えに加え,雨が降ろうものなら,体温は低下し,思考も混濁する。死の感覚はいつも身近だった。何か鋭気を失うきっかけがあれば,簡単に一線を越えられそうだった。何度も死のうと思ったが,今思えば,多くの人に支えられて,今日まで生きながらえることができた。
今では苦労を掛けた子供達も立派に育ち,こんなにダメな母親に,せっせと親孝行をしてくれている。私の苦労が報われ,今は貧しいながらも,子供を自慢できる幸せな時を過ごしている。
時代は流れ令和となり,日本は豊かになった。だが,格差や片親世帯の貧困層は拡大している。経済的困窮に陥っている親は未だに多いという。また,DVは未だに猛威を振るい,泣き寝入りしている方も多い。
さらに,現代は核家族化が進んだことから,相談できずに子育てに悩んでいる方も多い。 時代は変わったとしても,昔同様,子育てに悩む親は多いことであろう。
このブログを読んでいただくことで,何かの励みになるならと,恥じを偲んで自分史を公開するこにした。私と同じような不遇に,必死にあらがい生きているお母さん,お父さん。
それでも,心が折れそうになることはあるでしょう。そんな時に,この私の七転び八起の連続の生き方が,一人でも心の支えになれたなら,望外の喜びである。
以 上
マム・サポーター 柴里 すみれ
[ライター;天空 流星]
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