子育て奮闘記昭和の母編第2話

昭和の子育て奮闘記

5人の子育てをした、すみれの子育て記。現在84歳で気力体力も充実したマムサポーターである。実父母から離れ養父母に不自由なく育てられたにも関わらず、駆け落ちした日から、壮絶なDVを受けながらも、苦難をのりこえ、たくましく生き、必死に子育てを続けた実話。辛く困難な時にたちむかうマム世代への少しでも助けになればという思いで公開。

   ~DVと経済的苦難の日々~

第2話;駆け落ち

  私は昭和12年に,妾(めかけ)の子として生まれ,乳飲み子の時に2回の養子縁組によって,育ての父母に拾われる。

  生みの親である父親は,弁護士で最高裁判所の長官にまで登り詰め,天皇に助言する立場にあったと伝え聞いている。戦前の天皇といえば,現神人である。その方の側近ということが,どれほどのことか。また,当時そのような立場になれた者は,優秀さもさることながら家柄もしっかりしていたことだろう。

  実母は銀座で芸者であったようだが,妾といえど立派な家をあてがわれていたようだ。今でこそ,妾という存在はいやしい感じを受けるが,戦前では,教養を身に着けた芸者のゴールとして,位の高い殿方へ身請けされるのが理想であった。その理想のゴールを手中にした実母は,芸者として一流であったことだろう。

  ただし,私は望まれた子では無かった。実父の頭脳の優秀さと実母の芸の素質は,遺伝子レベルで受け継いでいるかもしれないが,十分な教育環境で育てられることはなく,華族などが持つ経済的なメリットも享受できず,才能を開花させることなく凡庸に育つこととなる。

  生まれてすぐに養子縁組が画策され,当時、何千万円という十分な養育費と共に初めの養父母へ養子に出された。だが,その養父母は高額な養育費目当てだったようで,すぐに育ての親である2番目の養父母へ養子へ出された。その際,実父から渡されたはずの養育費は,引き継がれていない。

  2番目の養父は福島出身であった。そして養父母には姉に当たる実子がいた。豊かでは無かったが,それでも実の子と変わらぬ愛情を持って私を育ててくれた。実直で働き者の養父は,誰も手を付けなかった荒れ地を自ら開墾し,田畑を広げていった。おかげで戦中・戦後の食糧難の時期においても,飢えることはなかった。幼少期は,畑仕事を手伝うのが嫌だったが,学校がえりに少額の小遣いほしさに,ちんたら畑に向かい,牛引きなどの手伝いをした。牛も私には懐(なつ)いてくれていたので,やり始めれば手早いとほめられ,楽しく仕事をしたものだ。

  自家消費用の畑で精を出す一方,養父はボイラー技士として自衛隊でも働いていた。ボイラーマンとしての腕も一級の腕前であったようだ。養父母は,自衛隊の若人を招いて家でごちそうしたり,子供達の英語の先生にと外人を下宿させたりと,面倒見も良く,自衛隊の若人達から信頼されていた。せっかく英語の先生を見つけてくれたにも関わらず,勉強が嫌いな私はちっとも英語を学ぼうとしなかった。今思えばもったいない事をしたと思う。

  また,経済的に苦しいだろうに,日本舞踊を習わせてくれたり,私立高校へ通わせてくれ,一人前に育ててくれた。この恩義には感謝をしてもしきれない。

  生みの母親の遺伝からか,音楽や踊りは好きだったが,学業には身が入らなかった。なんでも器用にこなすことができた反面,努力や集中,勉強は苦手だった。三つ子の魂百までとはよく言ったもので,幼少期に身に付いたこの性格は,終生変わらない。これが今後の子育てにも大きく影響していく。

  この時にはそんなことを露ほどにも感じず,時には自分の出自を呪い自暴自棄に,時には夢見る少女として,世間知らずなまま大人になった。

  高校卒業後は,理髪師の資格を取り,理髪師として働いた。理髪師になるには,血管の位置などの学科も有り,なぜ髪を切るのにこんな勉強をしなければいけないのかと腑に落ちずにも,懸命に勉強したことを今でも鮮明に覚えている。

  私が18歳で就職した昭和30年といえば,まだまだ復興のさなか。そんな時代に,自衛隊員は結婚相手として理想的な職業であった。そこで養父は,私達姉妹の結婚候補生として,自衛隊の若人を家に呼んでいたのだろう。その中の一人,山形の人と許嫁として縁組みをさせてもらった。婚約といっても,まだ幼かった私には実感がなく,相手の魅力にも気づかずに,許嫁の縁組みを形だけ終えたが,まったく実感の沸かないものであった。今なら,結婚相手として申し分ない好青年であったことがわかるが,当時の幼い私にはその良さを理解できなかった。

  その数年後,就職して最初の夫,Mと出会う。自衛隊へ出張理髪をしていたときにお客としてMが通っていたのだ。Mは自衛隊員であるが,東大卒のインテリで,音楽隊をやっていた。魅力的な職業であるものの,死と隣り合わせというリスクがある自衛隊員。しかしながら,Mはそのリスクが低い音楽隊員。まさに理想的だった。それに加え,私にはないインテリジェンス,舞踏が好きな私と楽器奏者といった相性の良さもあり,彼に惹かれるのに時間は掛からなかった。

  将来を誓った人がいるにも関わらず,Mへの思いは日に日に膨らんでいく。Mも私に許婚がいることを知っていたから,許される恋ではないことは双方が理解していた。それにも関わらず,若い二人の恋は,障害があればあるほど燃え上がるものと相場は決まっている。私達も,その例に漏れず,お互いを求める思いは高まっていった。

  そして遂に,Mに誘われるまま駆け落ちをしてしまった。養父母の家を抜け出し,Mと二人,東京の早稲田界隈へ逃避行した。Mは自衛隊を退任することとなり,私も理髪店を辞めることとなる。

  駆け落ちといえば,愛を貫くドラマチックな心躍るフレーズだが,実際は厳しいものだ。仕事は失い,お互いの実家とは縁を切り,誰も知らない土地で生活をしなければならない。生活基盤の全てを失う所行である。当然,その後の生活は苦しいものとなる。

  四畳半一間のアパートが,新婚生活を送る新居だった。玄関や洗面所,汲み取り式トイレは共同。当然,風呂は無いので,銭湯通いとなるが,とても毎日は通えない。家具といえば小さな整理箪笥とちゃぶ台がある程度。家電製品なんて電灯くらいなもの。生きるので精一杯だったが,戦時の苦しみに比べれば,まだマシだった。

  昭和30年前後のことで,まだまだ戦争の傷後が,あちこちに残っていた。戦後復興で活気づいていたとはいえ,日本は最貧国家であったろう。道路はでこぼこのじゃり道。雨が降れば大きく深い水たまりができた。街路灯はメイン通りに裸電球が点在する程度。社会福祉なんて無いも同然。都市ガスや下水道なんて,なんですかそれは?って感じの時代。その中にあっても私達は底辺の暮らしであった。引け目を感じることもあったが,それより恋い焦がれたMと結ばれた幸せに加え,親や社会と決別して駆け落ちをやり遂げた高揚感,若さ故の全能感から,根拠はないが何でも乗り越えられるように思えた。

  しかし,現実はそんなに甘くない。料理一つとっても,狭い共同洗面所では,激しい場所取りになる。女性といえど罵声が飛び交い,お米を研ぐこともままならない。そこへ男衆が割って入れば,新参者の私はたちまちはじき出されてしまう有様だった。当時は小柄で,か細いこともあって,何をするにも大変だった。れでもなんとか,その日その日を生き抜く生活を重ねていった。苦しいながらも生活のコツやリズムを掴み,徐々に駆け落ちからの激変期を乗り越えていった。

  そうこうしているうちに,初めての子供を授かった。つわりが酷く,小柄で華奢な身体での妊娠は,苦労も多かった。その反面,周りから気遣いをいただけるようになったり,厳く当たられていた母親達からは仲間として認められるようになるなどの安堵感もあった。初産の不安はあったが,お腹の中で育まれていく子供が愛おしくて仕方なかった。出産時の苦しみや痛さは,筆舌に尽くしがたいものがあった。これも華奢な身体での初産であるが故か。「お腹を切り裂いて,子供を出してくれ」と,何度も思った。それでも子供が生まれると,不思議なもので,そんな痛みは消し飛んだ。女の子だった。

  弱々しく産声をあげる我が子を初めて抱き,懸命にしがみついてくる様子を感じた時,「あぁ,待ち望んだ私達の子だ。元気に生まれてきてくれてありがとう。この子は,無条件で受け入れられる。生きているだけでありがたい。この子のためなら,どんな苦労もいとわない」と,出産の達成感や恍惚感,様々な方への感謝,多幸感など,多様な感情が怒濤のように込み上げ,宗教家がとく,慈悲や愛をも体感したようだった。子供を授かることで,真の感謝と,弱者への配慮も覚えたと思う。狭い我が家であるが,愛する夫と愛おしい我が子と私の3人が,川の字で寝る幸せを夢見た。

  ところが,子供が生まれると夫が豹変する。DVが始まったのだ。

[続く]

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◆つづき     第3話はこちら

マム・サポーター

 柴里 すみれ

 [ライター;天空 流星]

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