東京オリンピックが始まりました。
福島でソフトボール試合♪
球場には、こどもたちによる応援メッセージのアサガオと青い紫陽花ロードが美しく彩られています。
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目次
介護・母親との親子関係が逆転?
日本の子育て世代といっても、二極化しています。
若年での出産の場合も、子育て経験不足や、核家族で周囲のサポートもなくお困りの事とと思いますが、初婚や出産の高年齢化に伴い(内閣府の少子化対策白書など参照)、子育てと両親の介護と同時期でさらに大変!というご相談も多いです。
介護というと、ネガティブな面がクローズアップされがちですが、実は、ポジティブな言葉も良く聞きます。
「子育ても介護も、同じよ。みんなこどもになっちゃうんだもの。」
と言われる方もいらっしゃいました。
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✤「大人だと思うから、キツイ。『ああ、母は、父は、こどもになったのか。ずるいなあ、と思いつつ、ネタにしよう』と、受け入れています。」
✤「小さい頃はしつけに厳しく、ちっとも褒めてくれず厳しい顔をしていた母が、少し認知症になったらとっても笑顔が多くなり、ありがとうありがとうと言ってくれるように可愛くなっちゃったの。」
などなど。子育て中も介護中も、毎日想定外の出来事でびっくりの連続!ですね。
子育ては0~22歳。
介護は命が天に召されるまで。
その期間の時間の経過は、人それぞれの感覚や思いで受け止め方は異なりますが、我々の生命同様、限りがあるものです。
同じ時間を過ごすなら、次々起こる出来事にとらわれることなく、たくましくサクサク対処して、寛容な心持ちで、次に準備し、笑顔パワーで生きたいものです。
◆インタビュー①塙野ひろ子先生◆
✿マムクラブ 塙野ひろ子先✿
素敵なお話をお聞きできました。
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紫陽花が美しく咲く季節
母の102歳を祝って~~~
ありがとう、ありがとう、と毎日沢山言ってくれるようになりました。
貴方と居られて幸せだわ、という言葉を聞いて、本当に報われた思いがしました。
長生きしてくれたからこそ、この言葉が聴けた。
子供返りをしてくれたからこそ、私を頼ってくれる可愛い母に出会えた、と思えるのです。
人生は、長い歳月をかけてわかることがあるのですね。
母からは、生きることの多くの学びを得ています。
老いた母と生きて
母が102歳を迎えました。デイサ―ビスを利用しつつ、時々泊りもお願いして、何とか自宅介護を続けています。
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出かけるときに、ちょっと車の中に待たせますと、戻ってきた私に対して、手を叩きながら嬉しそうに、「お待ちどう様!」と言う母・・・(それは私のセリフよ~)
色々な、大事なことをすぐ忘れてしまう母に、思わず大きな声を出してしまうと、
「だってバカになっちゃったんだからしょうがないじゃない」という母。
「・・・・・・。」ただいま子供返り進行中で、なかなかとぼけた味が出てきました。
母は、「ありがとうございます!」が口癖になり、デイサービスでも、愛されキャラのようです。
心配していた2回目のワクチン接種の副作用も、当日36度9分の微熱が出ただけで無事に済みました。
このところ思います。
寿命って何なんでしょうねェ。本人の努力でもなく、身体の強靭さでもなく、ひとえに命運かと・・・・。
変わってくれた母との出会い
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長生きする事だけが良いとは正直言って思っていない私ですが、でも、母がここまで生きてくれてよかった!
と思う事があるのです。
昔はとても厳しくて、全然褒めてもらった記憶のない私。
25年以上一緒に暮らしてきましたが、90歳前までは、私に対して不満だらけだったようです。
それが95歳を過ぎた頃、突然、「あなたと一緒に暮らせて幸せだわ。」
と言ってくれた時は、バク転100回したいくらい驚きました!(笑)
そして少しずつ私を頼ってくれるようになり、今では1日何度も何度も「ありがとう!」と言ってくれるようになりました。
もしも母が長生きしなかったら、この言葉は聴けなかったのです。
穏やかな可愛らしい母と出会えなかったのです。
人生の帳尻合わせって、有るのですね。
長く生き、長く付き合う事で、新しく見えてくることって有るのですね。
人生の深さに、ようやく気付いている私です。
現世で、あとどのくらい一緒に居られるか、それは神のみぞ知る、ですが、母との珍道中は、もう少し続きそうです。
✨102歳おめでとうございます✨
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✤大正8年生まれの和子さん。
「100年なんて、ほんとうにあっという間よ。」
インタビューしたときもとっても美しい笑顔でニコニコとたくさん笑ってくださいました。
◆インタビュー②玉村咏先生◆
そしてもう一方、ご紹介します。
京都の染色家・玉村咏先生の素敵な実話をお伝えします。
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✿玉村咏先生の介護STORY✿
「 介護は母への感謝ありて 」私の母は平成24年12月9日88歳で亡くなりました。
母は24歳で未亡人になって以来65年、よくぞひとりで姉と僕を育ててくれたと改めて思っています。
感謝ということを、私に教えてくれた母へのお礼を込めてお話したいと思います。
母は、平成11年12月8日(奇しくも私の誕生日)にクモ膜下出血で倒れました。
生憎その時私は東京に居て、夜9時過ぎの電話だったものですから朝一番の新幹線で京都に戻るべく、母を思いホテルの部屋で飲み続けていました。
最初のうちは「ワシの誕生日に逝くなよ」と思っていましたが、時間が経つにつれ徐々に思いは変わっていきました。
生地、福井から京都へ来て43年。
今私が染色家として好きな仕事を出来るのは、母が生んでくれたお陰だと。
自分の力でこの世に生まれてくる事が出来なかったくせに、恰も自らの力のように感じていた自分を恥じるようになっていきました。
生まれて初めて母に感謝の気持ちを抱いた時でした。
恥ずかしい事ですが、それまでは母を何でも言う事を聞いてくれる女中のように思っていたのです。
母への感謝の気持ちを抱いてからは、その二年後から始まるシモの世話も全く苦にならず、愛しい人の為なら何でもしてあげられると自然に思えるようになりました。
このような気持ちを抱かせてくれたのも、母の病気のお陰です。
アルツハイマーになった母親
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もし母が倒れなかったら 人生で最も大切な事を、私は一生気が付かなかったかも知れません。
幸い手術は成功し後遺症も出なかったのですが、術後先生がおっしゃいました。
「二、三年後にはアルツハイマーを発症し、次に脳水が溜まって、シャント手術をしなければならなくなるかも知れません」
丁度二年後、症状が現れました。
ある日夕食後一時間程経った時、私が何気なく聞きました。
「今日のお肉美味しかったなー」
「えー?そんなの食べたかのー?」
いつかくると解っていたとはいえ初めての体験です。
アルツハイマーというのは、脳の中の海馬というところが犯され、新しい記憶が蓄積されなくなる病気です。
脳軟化症のような痴呆とは異なる症状と知っていましたので、果たしてどれ位の時間で記憶が無くなるのか、テストを始める事にしました。
まず朝食後5分経ってから「朝ご飯の味噌汁の具 何やった?」
母の答えは正解でした。
昼食後は5分30秒後に聞きました。
これも正解です。
毎食後 6分、6分30秒、7分と30秒ずつ増やしながら質問をしました。
結果 その日の調子にもよりますが、記憶は7分~10分の間に消去される事が解りました。
その事が解ったお陰で対処方法が見つかったのです。
アルツハイマーの母との付き合い方
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「女学校の時仲良しの人、何という名前?」
「昔行った温泉どこが一番好きやった?」
「オジジは気風が良かったなー」
話す事は何でもいいんです。
母の気が紛れている内に処理を済ませられれば・・・
お風呂も面倒くさくてあまり入りたがりません。
ではどうする?
「母ちゃん、シャワーでいいか?お湯張ろうか?」
「シャワーでいいわ」
「じゃ行こう」
浴槽には既に湯が張ってあります。
湯舟に手を入れて栓を抜く格好をしながら、
「浸からないんやったら お湯抜くよ」
「勿体ないがの」
「そんなら浸かるか?」
「うん」
もうこっちの手の内です。
「気持ち良かったやろ?」
「気持ちよかったわ」
このやり方は色んな事に応用できました。
「みかん食べる?」
「今いらんわ」
この聞き方では拒否されてしまいます。
「母ちゃん、苺がいい?梨がいい?」
「梨食べようかの」
二者択一にすると殆ど成功でした。
母の介護を通して色々な勉強をさせて貰いましたが大事な事は、出来るだけ話しかけ、話させる事。
なるべく一人にしないで連れ回す事
沢山の人の中で刺激を与える事・・・等々
でも一番は笑わせる事です。
もともと冗談好きの私には最もやりやすい事でしたが、幸い母のアルツハイマーは、11年間殆ど進行せずむしろ回復し、亡くなるその日にも笑っていましたよ。
生きていく中で一番大切な、感謝する心を教えてくれた母の病気に、本当に「有難うー」です。
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玉村咏先生の写真とプロフィール
一般社団法人色彩芸術研究機構の顧問でもあられる素敵な玉村咏先生。
ひとつの「色」から2500色を生み出され、素晴らしいグラデーションの美しい作品を産み出されます。
ホームページはこちらです。
<編集後記>
今回インタビューさせていただきました塙野ひろ子先生と玉村咏先生は
一般社団法人色彩芸術研究機構の理事・顧問をしてくださっています。
お二方とも毎日キラキラ輝いて前進していらっしゃるとても素敵な方々です。
今回ご紹介できて光栄です。もし、先生に聞いてみたいこと、お話してみたいなどご要望ありましたらお繋ぎしますのでマムサポート共通カウンセリングチケットを入手してくださいませ。
お繋ぎする日程をご連絡します。
皆様の暮しが豊かなきもちで日々過ごせますようお祈りしています。
✤マムサポート運営局
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